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〜医者はどこまで患者と向き合っているか?〜主治医はあなた【随時更新】

現代の医療のあり方に一石を投じ、これからの医療の可能性を模索する。
心身統合医療に力を注ぐ、医師・樋田和彦のメッセージ。

主治医はあなた

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「人を助けたい」という医の良心を、
十分に謳歌してこそ医療です。

■医療とは、じつにすばらしい仕事

医師免許を頂いて半世紀。この仕事を長く続けるなかで、医学と医療について深く考えるようになりました。

医学は万人共通の外の物差しであって、医療はその人の内側に基準を置くもの。つまり医療には、人間が本来持っている「良心」というものが不可決です。不易流行という言葉がありますが、医療についていえば、変わらないもの(不易)が、医療の根底に脈々と流れている「良心」であると思うのです。

ところがテクノロジーの発展によって、いつの間にか、医療が医学に占領されてしまっているところがある。検査機器や手術の進化はめざましく、その恩恵ははかり知れません。しかし、これらは医療の方法やツールの変化であって、医療の根本は、ヒポクラテスの時代から何も変わらないはず。どんなに検査機器が発展しようが、最終的に患者さんを診て診断するのは機械ではなく医者なのです。

私は、医療という仕事はじつにすばらしい仕事だと思っています。かつて医療は「医術」といわれ、医者の「仁術」と「技術」によって成り立つものと考えられていました。患者さんと向き合い、心と身体の声に耳を傾け、医学というツール(技術)を駆使して、患者さんが本来持っている治癒力を引き出す。これほどアートな仕事はそうはないでしょう。

ところがテクノロジーの発達によって、医学の知識が優位に立つと、今目の前にいる患者さんを診ることより、画像やデータを読み取ることに意識が向いてしまう。そんな診療をこなす日々だとしたら、医療とは、何とつまらない仕事でしょうか。

薬にしても、たしかに良い薬がたくさんあります。もちろん私も患者さんに処方しますが、適切なものを適切な分だけしか処方しません。農業でいうと、有機栽培とか自然農法に近いといったらいいでしょうか。化学薬品に頼らず、自然本来のチカラを引き出して栽培された野菜がいいことは誰だって知っています。患者さんへの処方箋もそれと同じなのです。

もし、必要以上に薬を処方したり、長く患者さんに通院させたりする医者がいたとしたら、当たり前のことですが、医者の本分からはずれる行為です。たとえ、だれにも気づかれないとしても、本人が一番よく知っており、良心がうずくはずです。私は、自己評価の尺度のひとつに「良心」があると思っています。

「良心」に近づく行為をしていれば、気持ちがいいし身体も楽ですが、「良心」と裏腹のことをする行為は、良心と戦っているわけですから気持ちが苦しい。そして、いつかは行き詰まってしまいます。生意気な発言かもしれませんが、「人を助けたい」という医の良心を、十分に謳歌できる医療こそ、本来の姿であると私は思っています。

■医療は、利潤追求の「産業」とは違う

かつて医療は「医道」とか「医術」といわれたものですが、今では、「医療産業」という言葉があるように、国を支える事業のひとつとなっています。しかし、医療とは、製造業や農林水産業など、ほかの事業とは一線を画すものであることを見失ってはなりません。

いかに製品や加工品をたくさんつくって利益を上げるかを考えるのは、製造業では当たり前のことです。でも、それを医療で実践したらどうなるでしょうか。患者を増やし、薬を増やして利益を追求するのは、医療の逆の行為です。

『医療従事者は根本的な思想の中に、患者を減らす気持ちがなければいけません。医療の本分とは、できるだけ患者さんの身体に負荷をかけることなく、少しでも短い期間で、「はい、治りましたよ」と言ってあげること。患者を増やすのではなく、健康な人を増やすという気持ちこそが大切です。』

どんな人の中にも内なるドクターがいるのに、彼らはその真実を知らずに、医者を訪れる。患者一人ひとりに宿る、内なるドクターに働くチャンスを与えよう。その時はじめて、われわれは医者としての本領を発揮したことになる。

シュバイツアー

次回は、「診断」と「診察」についてお話します。

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