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〜医者はどこまで患者と向き合っているか?〜主治医はあなた【随時更新】

現代の医療のあり方に一石を投じ、これからの医療の可能性を模索する。
心身統合医療に力を注ぐ、医師・樋田和彦のメッセージ。

主治医はあなた

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“病気を治すより、人を治せ”
“病気を診るのではなく、病人を診よ”

■身体はつねに変化し、新しく生まれ変わっている

人間には60兆個の細胞があって、血液中にある大量の赤血球は寿命がわずか1カ月ありません。壊れては新しくつくられ、つくられてはまた壊れていく。そしてひと月ですっかり入れ替わります。つまり、私たちの身体はつねに変化し、新しく生まれ変わっているのです。

このことは、じつは日常的に誰もが感じていることです。体温、脈拍、血圧、血糖値、検査で現れるデータはいずれも測定する度に異なり、同じ数値を示すことはまずありません。特に血圧は、とんでもなく変化することがあり、どの数値を信じてよいか、迷ってしまう患者さんもいるでしょう。しかし、少し視点を変えれば、身体の必然性のもとに検査値が現れているともいえます。ですから検査値が異常値でも、その数値に相応しい全身の条件が揃っていれば、一概に治療が必要とは言い切れません。

ボランティアで某作業所の方々の血圧測定に立ち合ったときのこと。最高血圧160以上最低血圧100以上の方は作業ができない規則になっているのですが、200以上の異常値の人がしばらく休憩して再検査すると正常になるケースが多く見られました。また、測定を繰り返すほど異常値が出る人もいて「家ではいつも正常なのに」と首をかしげます。よく知られる「白衣高血圧」は医師の前では緊張のあまり血圧が上がるというものですが、さまざまな要因によって検査値は変化するものです。

血糖値にしても、検査時の患者さんにとって、その数値がちょうどよいからそうなったと考えてみると、果たして人工的に血糖値だけをコントロールする処置が正しいと言い切れるでしょうか。身体はコントロールに慣らされることで、本来の糖代謝は機能を失っていきます。身体全体の環境の変化を考えず、対症療法のみの医術は、ときに逆効果にならないかと懸念が生じます。

私たちは病気による症状を嫌いますが、本当に症状は悪いものでしょうか?
東洋医学では「症状即療法」という言葉があります。これは「症状は治療する方法を教えてくれる」あるいは「症状こそが健康を取り戻す働きである」というもの。体は常に代謝を続けながらバランスを保っていますが、ストレスなどによって代謝がうまくいかなくなったときは、病気の症状でもってバランスを取り戻すという考え方です。

もしそうだとすれば、症状こそが健康回復運動ともいえます。とくに風邪を引いた場合、こうした捉え方をしますと経過がスムーズに運びます。ほとんどの病気は治療しなくても自然に経過して治る理由はここにあります。私がこうした話を患者さんにしますと、ほっと安心されるのか早く治ります。「病は気から」とはよく言ったものです。

■変化という流れこそが「生きていること」そのもの

冒頭にも述べましたが、身体はつねに変化し、新しく生まれ変わっています。あらゆる細胞や組織が絶えず入れ替わりながらも一人の人間として一貫性を保ち続けることができるのは、これらが互いにバランスを取りながら働いているからです。バランスが取れているといっても固定的ではなく、絶え間なく揺れ動いています。つまり、変化という流れこそが「生きていること」そのものなのです。

こうした生命の神秘を、ユダヤ人の科学者シェーンハイマは「ダイナミック・ステイト(動的な状態)」と呼び、また生命科学の分野で活躍する福岡伸一さんは「動的平衡」と名づけています。耳慣れない言葉かもしれませんが、じつは古くからある考え方です。例えば東洋医学では、身体のアンバランスを修正し、バランスの取れた状態にすることを目的としています。

専門的な言葉になりますが、恒常性維持(ホメオスタシス)という機能の法則によって、身体はシーソーのよう揺れ動きながらも、つねにバランスの取れた状態に戻ろうとしています。これを自然治癒力といいます。

西洋医学の枠を超えて鍼灸に縁をいただいたときのこと。私はある真理に触れることができました。人間の身体は正中線をもとに左右ほぼ対称的になっています。ところが、ある鍼灸師の患者さんの体は、異常部分の痛覚は鋭く、正中を介して反対側の部分は逆に鈍くなっていること、同様に左右の手足の指先にあるツボの温度感覚を調べると著しい差があることが分かりました。それを調節すること、つまり身体のバランスを修正することで健康が回復することを目の当たりにしたのです。

■「病気を診るのではなく、病人を診よ」

昔からよく言われる言葉に、次のようなものがあります。

「病気を治すより、人を治せ」
「病気を診るのではなく、病人を診よ」

これらはいったい、どういうことでしょうか。

私は、身体の変化とバランスを診ることだと思っています。それは検査の数値だけでは決して分からない。いわゆる視診・聴診・触診・問診といったセンサーを働かせ、人間が人間を診るという本来の「診察」です。(詳しくはchapter 4をお読みください)

一方、現代の医療は、病気を治すことが全てといっても過言ではありません。そのため医師の関心は患者より病気そのものに向けられ、無機質な検査機器が視診・聴診・触診・問診といったセンサーに取って代わり、人間を診る「診察」ではなく、病気の「診断」に重きを置かれるようになっています。決められた病名用の治療を提供することが間違っているとは言いません。しかし、時に、患者さんを病名という枠に閉じ込めてしまうことも起こりうるのです。

診察と診断、同じように捉えている方もいるかもしれませんが、大きく異なります。私なりの解釈では、次のようになります。

診察…身体全体を診る。人間が人間を診る動的なもの
診断…病気を診る。数値や病名にとらわれた静的なもの

刻々と変化していく患者さんを見過ごすことなく、適切に対処することによって、本来のバランスに戻すことができるのではないでしょうか。実際、診察中においても、患者さんの心身状態は変化していきます。私の一言で、ぱっと表情が晴れやかに変わって、身体に変化が現れることも少なくありません。

病名にとらわれず、今、目の前にいる患者さんをしっかりと診る。当たり前のことですが、これこそ、まず医者が最初にするべきことのように思います。

次回は、「ホリスティック医学」についてお話します。

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